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子どもとおかあさんの笑顔を
守るために
あづま小児科クリニック
院長 吾妻 達生
子どもたちの健やかな成長を見ることは、われわれ親にとってこの上もない喜びがあり、日々の励みにもなります。
しかし、少子化社会において子どもを取り巻く環境はむしろ厳しくなっています。高齢化社会や格差社会の歪みが子どもたちに忍び寄っていないでしょうか。
子どもたちばかりではなく親もまた急激な社会の変化に晒され、落ち着いて子育てに励むことができにくくなっています。
核家族化が進んだために子どもを育てることは、ますます莫大な労力と忍耐を必要とする孤独な作業となりました。
情報過多の大海で子育てのために孤軍奮闘し、ご両親が育児難民化することもあります。社会全体で子どもと親を優しく包み込み、安心して子育てできる社会でありたいものです。
当院は皆様の子育てのお役に立ちたいと願っています。
経歴
昭和57年3月 |
大阪大学医学部 卒業 |
昭和57年7月〜昭和58年6月 |
大阪大学医学部附属病院 第一外科研修医 |
昭和58年7月〜昭和60年6月 |
大阪厚生年金病院 外科医員 |
昭和60年7月〜昭和61年6月 |
大阪市立小児保健センタ− 小児外科医員 (現 大阪市立総合医療センタ−) |
昭和61年7月〜平成元年6月 |
大阪大学医学部附属病院 小児外科医員 |
平成 元年7月〜平成2年6月 |
大阪府立母子保健総合医療センタ− 小児外科医員 |
平成 2年7月〜平成4年2月 |
大阪大学医学部附属病院 小児外科医員 |
平成 4年3月〜平成6年4月 |
フランス パリ Necker小児病院 留学 |
平成 6年5月〜平成11年3月 |
大阪大学医学部附属病院 小児外科助手 |
平成11年4月〜平成12年5月 |
国立呉病院 小児外科部長 (現 国立病院機構呉医療センター) |
平成12年6月〜平成17年6月 |
東大阪市立総合病院 小児外科参事部長 |
平成17年6月 |
東大阪市立総合病院 退職 |
平成17年8月 |
あづま小児科クリニック 開設 |
大阪大学医学部 医学博士 |
日本小児外科学会専門医 |
日本外科学会専門医 |
日本消化器外科学会認定医 |
登録医
社会福祉法人 恩恵財団大阪府済生会病院 |
市立 吹田市民病院 |
ホームページの写真について
‘かがやく 笑顔に’に用いた写真は、私が勤務医時代に大変お世話になった東大阪市立総合病院 臨床検査技術科 主幹 奥井康人氏がベルギ−・オランダで撮影したものです。
他の写真は私がフランス留学中に撮影したものです。
留学中はエッフェル塔のすぐ近く、スイス村にあるステュデイオ(日本のワンル−ムマンションに相当)に住んでいました。大企業の駐在員に比べ、本当に貧乏な留学生活でした。
ネッカ−小児病院はルイ16世の蔵相ネッケ−ルの夫人によって1778年に開かれました。名称は小児病院ですが日本の医科大学と同等の規模と内容を擁しています。医学史上、この病院でラエネックが聴診器を用いた聴診法を確立したことは有名です。
ネッケ−ル小児病院までは地下鉄(メトロ)あるいは徒歩で通いました。毎日、エッフェル塔、陸軍士官学校、ユネスコ本部、ナポレオンの眠る廃兵院(アンバリッド)を見ながら通いました。
観光用写真とは違った、折に触れて撮った写真をご覧いただきたいと思います。
猫のミーちゃん
段ボ−ル箱に入れられて道端に捨てられていました。
ペット禁止のマンションでしたが、こっそり飼いました。手のひらの上で丸まって眠れるくらい小さかったのです。3時間おきに猫用の粉ミルクを飲ませました。かぜをひいて鼻水を垂らしたり、裁縫用針を飲み込んで緊急手術を受けたり、人間並みに手がかかりました。
でも、我が家の家族となってもう11年がたち、お婆ちゃんになって来ました。冬 寒くなると、布団の中に潜りこんで来て、グルグルとのどを鳴らします。でも、まだまだ元気です。
■診察室
待合室と同様に診察室も窓から明るい陽光が差し込み、開放感にあふれ圧迫感がありません。
病院というイメージを取り払って、なるべくお子様のストレスにならないようにしています。
診察台は幅1mの特注・特大サイズです。
診察台の上でゆったりと遊んで帰るお子様もおられます。